Questions

Q1そもそも憲法ってなんなの?

Q2フツー語訳でツボ(9条、25条、13条)を説明。日本国憲法のどんな点がアッパレでクールなの?

Q3「日本国憲法は、古来より脈々と続く日本文化が現代に花開いたもの」というのはどういう意味なの?

Q4「権利は人が生まれながらにして持っているもの」という、日本国憲法のベースになっている考えについて

Q5この国の主役(=主権を持っているもの)はうちら国民なの? 国(政府)なの?

Q6憲法で使われている言葉の超ビミョーな違い(たとえば「個人」と「人」など)が大きな内容の違いを生み出すコトダマシたちのワザ」、について

Q7今の日本国憲法を歴史の針を逆戻りさせる方向で変える動きが成功すると日本がどんな国になるの?

Q8今の憲法と自民党の憲法改正案とでは、要するに何が違うの?

Q9「憲法は(GHQの)押しつけ(だから、変えよう)」って言う意見は、本当は何を言っているの?

Q10安全の確保という点で、9条(戦争放棄)は現実的でないという意見は当たってるの?

Q11自衛のため」という名目の軍隊(国防軍)を持つことは正解なの?

Q12憲法に書いてあることは素晴しいけど、日本の国はそういう約束を必ずしも守っていないんじゃないの? そういう約束を国がしてることも知らなかったし ・・・ どうしてなの?

Answers

Q1そもそも憲法ってなんなの?

 

憲法は、国が国民に対してしている約束です。

それも、国が国民に対して好き勝手なことをしないように、国民の自由や幸せに生きる権利などを侵害しないように、国民に対してしている約束なんです。

そういう約束になっていない憲法は、近・現代の憲法とは言えません。

 

政治家・役人・裁判官などの公務員は、この憲法をきっちりと守る義務があります。(99条)

 

この憲法はどんなルールよりも上にある、一番偉いルールです。

法令(法律。政令。条例など)によってうちら国民に対して「これを守りなさい」としばる国は、憲法によって「これを守りなさい」としばられています。

 

法令は国民をしばるものですが、憲法は国民ではなく、国家をしばるものです。

 

この憲法に反するような法律などを作っても無効です。

この憲法に反するようなことは、政治家や役人や警察官や検察官や裁判官や一般国民など、誰がしても無効です。

98条) 

  

Qフツー語訳でツボ(9条、25条、13条)を説明。日本国憲法のどんな点がアッパレでクールなの?

 

「できたからほぼ七十年たっても世界一の憲法であり続けていて、時空を超えて、これからも世界一の憲法であり続けるだろう」という点がアッパレでクールなんです。

 

何故そうなのかと言えば、それは日本国憲法が9条、25条、そして13条を持っているからです。それらはこの憲法のツボでもあります。

 

9条、25条のことはトップページでも説明しましたが、まずその9条、25条を、それから13条を、わかりやすいフツー語で書いてみましょう。

 

なお、このサイトでは、「日本の国」は、具体的には、「日本の役人・政治家・裁判官」のことだと考えて下さい。

総理大臣は、役人であり政治家です。

また、「うちら」は「日本の国民」だと考えて下さい。

役人・政治家・裁判官も日本国民です。エライ役職は持ってはいますが ・・・。

 

憲法は、「日本の国(役人・政治家・裁判官)」が「うちら(日本の国民)」にしている約束を書いたものです。

 

それでは、まず9条を。

 

9

 

うちらは「筋と話し合いで成り立っている国どうしの平和な状態こそ、大事だ」と思うんだよね。

だから日本の国は「国として、武器をもって相手をおどかしたり、直接なぐったり、殺したりしない」って、この憲法で、うちらに約束してるよ。(世界のみんなにもね。)

 

また日本の国は「もし外国となにかトラぶったとしても、それを暴力で解決することは、もう永久にしない。戦争を永久に放棄する」って、この憲法で、うちらに約束してるよ。(世界のみんなにもね。)

 

 

 2

 

だから、日本の国は「第1項で決めた戦争放棄という目的のために軍隊や戦力を持たないし、日本の国が武力で戦う権利も持たない」ってことも、この憲法で、うちらに約束してるよ。(世界のみんなにもね。)

 

25

 

日本の国は「みんなが、健康で人間らしい最低限の生活をする権利がある」って、この憲法で、うちらみんなに約束してるよ。

 

 2

 

日本の国は「このためにできることをちゃんとやります」って、この憲法で、うちらに約束してるよ。

 

 

また、13条の「一人一人の個人の尊重」及び「一人一人が幸福を追求する権利」を、国が国民に約束する条文も、これを持っている憲法は世界でただ一つ日本国憲法だけです。

 

「一人一人の個人が尊重されるということは、一人一人の生き方や立ち振る舞いや言いたいこと、表現したいこと、健康な生活、人間らしい生活、なども尊重されるということです。

 

この「一人一人の個人を、国は尊重します」「国民一人一人が幸福を追求する権利を、国は約束します」という約束を根に、第三章に書かれているようないろいろな具体的な権利を、日本の国は国民に更に約束しています。

 

この13条をわかりやすい普通の言葉で書くとこうなります。

 

 

13

 

日本の国は「うちらは、みんな個人としてちゃんと扱われる価値があるし、

みんな自分なりの幸せを追い求める権利がある」て、この憲法を通じて、うちらに約束してるよ。

日本の国は「これらをめいっぱい実現するためにがんばる」ってことも、この憲法を通じて、うちらに約束してるよ。

 

でも自分に権利があるからと言って、やりすぎちゃダメだよ。

自分に権利があるように、相手にも権利があるんだから、

ケースバイケース、

どこまでならやってもいいけど、どこからはやりすぎか、

よ~く考えながら、やりすぎない範囲で権利を使うようにしなきゃだめだよ。

 

 

9条は、脱戦争・脱核兵器という、日本人も含む人類全体の求めるものを実現してゆくための、とても大事な約束です。

 

13条や25条も、脱貧困・脱原発・脱被曝など、これまた日本人も含む人類全体の求めるものを実現してゆくための、とても大事な約束です。

 

また13条や25条は、クリーンな環境の中に住む権利、プライバシーを尊重する権利、ノー・ニュークスで生きる権利など、新しい国民の権利の生みの母(=それらの権利の根拠)でもあります。

 

 

へえー、9条も25条も13条もアッパレでクールなんだ。

それらを持っている憲法は、世界中で日本国憲法だけだったんだ。

日本国憲法って、時空を超えて、世界一のアッパレでクールな憲法だったんだ。

こういうことを聞くのは初めてなんだよね。

という人も多いかもしれません。

 

政府は学校などで、世界に誇れる、こういう素晴しい憲法のことをちゃんと教えないで来ました。(少なくとも、このサイトに書いてあることは、わかりやすく、学校などで教えるべきなのにかかわらず ・・・)

 

だから、こういうことを聞くのが初めてだという人が多いとしても無理はありません。

 

そして、今の政府は9条も13条も25条できる限り無視しています。

なぜ政府はそういうことを教えず、無視するのでしょうか? 

 

Q「日本国憲法は、古来より脈々と続く日本文化が現代に花開いたもの」というのはどういう意味なの?

 

日本は古来より八百万の神の共存する国です。

また日本は、あの有名な、「和をもって尊しとなす」聖徳太子の十七条憲法の国です。

平和と共存は日本の古来からの素晴しい文化です。

戦争放棄を国が国民に約束する9条を持つ日本国憲法はその、古来より脈々と続く日本文化が現代に大きく花開いたものにほかならないと言えます。

 

また、助け合いもまた、世界の人達が感動する、日本の古来からの素晴しい文化です。

生存権=「健康で文化的な最低限度の生活」を、国が国民に約束する25条は、みんなから集めた税金を、貧困や病気や被曝・被爆に苦しむ人のために分かち合う、日本の助け合い文化の花です。

ですから、25条を持つことからも、日本国憲法は、古来より脈々と続く日本文化が現代に大きく花開いたものにほかならないと言えます。

 

もちろんそれらは日本文化と、平和共存と民主主義を求める世界の人々の時空を越えた英知が融合した大輪の花、人類の英知の結晶で、今、世界の人達と共有すべき普遍的な憲法でもあるんです。 

 


Q4「権利は人が生まれながらにして持っているもの」という、日本国憲法のベースになっている考えについて

 

「日本国憲法に書かれているような人の人権は生まれながらにして自由・平等であり、幸福を追求する権利を持っているもので支配者や支配グループが人に与えるものではないし、逆に、制限したり奪ったりできるものでもないんだよ」


こういう考えは、自然権思想とか天賦人権論(てんぷじんけんろん)とかいう考えです。
天賦人権論を英語に訳すとNatural rights of man(ナチュラル・ライツ・オブ・マン­=人間の自然権)となるので、結局、自然法思想=天賦人権論ということになり、同じ考えだということになります。
 
さて、ここで一つの文章を紹介しましょう。


***
 
「現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると
思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」

***

 

 

この文章が言っているのは、天賦人権説の否定です。これは、「人の権利は、権力を持つ支配者または支配グループが、彼もしくは彼らが支配する人間達に与えるものであり、制限したり奪ったりもできるものである」という考えになります。
 
 

つまりこの文章は、

 

「『人の権利は、権力を持つ支配者または支配グループが彼もしくは彼らが支配する人間達に与えるものであり、制限したり奪ったりもできるものである』という考えに基づいて、現行憲法のあちこちに見られる天賦人権説に基づくと思われる規定を改める必要があると考えました」と言っているのです

 

この文章は、自民党の「日本国憲法改正草案Q&AQ14の回答です。天賦人権説の否定が、この草案に託した自民党の考えだということになります。

 


Q5この国の主役(=主権を持っている者)はうちら国民なの? 国(政府)なの? 

 

その答えは今の日本国憲法の1条にしっかり書いてあります。 

 

1

 

日本の国は「主権は(国や天皇ではなく)うちら日本国民が持っているよ。天皇は、うちらを一つにまとめているシンボルだよ」って、憲法を通じて、うちらに約束しているよ。

 

というわけで、この国の主役は、うちら国民です。

 

それに対して、日本国憲法改正草案は、政府=多数党が多数決で決められる公益や公の秩序によって個人の権利を制限できるようにしていることから、この国の主役は国(政府)だと位置づけていると言っていいでしょう。 


Q6「憲法で使われている言葉の超ビミョーな違い(たとえば「個人」と「人」など)が大きな内容の違いを生み出すコトダマシたちのワザ」、について①

 

ふだん言葉を使っている時、たとえば、「個人」と「人」の違いって、ほとんど意識しませんよね。

でも、「個人」と「人」って、ほとんど意識しなくても、結構しっかりと使い分けてるもんです。

 

たとえば、

「それは、みんなの意見じゃなくて、ぼく個人の意見だよ」

と言う時に、

「それは、みんなの意見じゃなくて、ぼくの意見だよ」

とは言いませんよね。

 

また、

「ぼくは人だよ。イヌやネコじゃなくて ・・・」

と言う時に、

「ぼくは個人だよ。イヌやネコじゃなくて ・・・」

とは言いませんよね。

 

やっぱり、「個人」と「人」とは、意味が違うんです。

 

そういうポイントを意識して、次の二つの文章を読んでみて下さい。

 

文章1「うちらはみんな(一人一人が違い、一人一人がユニークなのが当たり前の)個人としてちゃんと扱われる価値がある」

 

文章2「「うちらはみな(イヌやネコじゃなく)としてちゃんと扱われる価値がある」

 

文章1では、「俺たち国民」は、「一人一人が違い、一人一人がユニークなのが当たり前の個人としてちゃんと扱われる価値がある」ので、「一人一人が自由に自分の考えや表現や生き方やあり方を選んだり決めたりしても」その自由を国は認めなければなりません。

 

しかし、

文章2では、「俺たち国民」は、「イヌやネコじゃなくとしてちゃんと扱われる価値がある」と言ってはいますが、「一人一人が違い、一人一人がユニークなのが当たり前の個人としてちゃんと扱われる価値がある」とは言っていないんです。

つまり、「一人一人が自由に自分の考えや表現や生き方やあり方を選んだり決めたりすること」を国は認めなくてもいいと、そう読める文章なんです。言い換えれば、国民の自由を認めなくてもいいと、そう読める文章なんです。

 

 

文章1のように「個人」だと、国は国民の自由権をちゃんと認めなければならない。

文章2のように「人」だと、国は国民の自由権をちゃんと認めなくてもいい。

 

嗚呼、なんというマジック!
憲法で使われている言葉は、超ビミョーな違いで大きな内容の違いを生み出すんです。

 

こういうマジックを編み出して、憲法の文章に限らず、あらゆる場合に使うのは、この国のお役人さんなどの賢いエリートたちなんですね。

そういう人達って、陰陽師もまっ青の、言霊師(コトダマシ)ならぬ、言欺師(コトダマシ)なんじゃないでしょうか?

 

ちなみに、文章1は今の日本国憲法の13条の前半のフツー語訳で、文章2は自民党の憲法改正草案の、同じ13条の前半のフツー語訳です。

 

Q6「憲法で使われている言葉の超ビミョーな違い(たとえば「個人」と「人など」)が大きな内容の違いを生み出すコトダマシたちのワザ」、について②

 

ところで、今の憲法の13条の後半と自民党の憲法改正草案のそれとでは、同じような超ビミューな言葉の違いがもう一つあります。フツー語訳で比べてみましょう。(前に紹介したフツー語訳とはちょっと違いますが、同じ条文です)

 

文章1-2(今の日本国憲法の13条の後半)

命や自由や幸福を求めるための国民の権利は、公共の福祉に反しない限り、政治家も役人も裁判官もきっちり尊重しなければならないよ。

 

文章2-2(自民党の憲法改正草案の13条の後半)

命や自由や幸福を求めるための国民の権利は、公益と公の秩序に反しない限り、政治家も役人裁判官もきっちり尊重しなければならないよ。

 

「公共の福祉に反しない限り」というのは 要するに「あんたの権利が、ほかの人(人達)の権利とぶつかって、それを(限度を超えて)侵害しない限り」という意味です。

あんたの権利もほかの人の権利も人権です。その人権のうえにあって、それを制限したり奪ったりできるものは全くありません。

 

「公共の福祉に反しない限り」は決して「あんたの権利が、政府=多数党や役人にとって気にくわないものでない限り」「あんたの権利が、政府=多数党や役人の決めたことに反しない限り」という意味にはなりません。

 

ですから、「あんたの権利が、ほかの人(人達)の権利とぶつかって、それを(限度を超えて)侵害しない限り」国や役人はあんたの権利を制限したり取り締まったりしてはいけないんです。

 

それに対して、

「公益と公の秩序に反しない限り」というのは「あんたの権利が、政府=多数党や役人にとって気にくわないものでない限り」あんたの権利が、政府=多数党や役人の決めたことに反しない限り」という意味です。

 

人権のうえに、政府=多数党が決める公益と公の秩序があって、その公益と公の秩序は人権を制限したり奪ったりできるということになります。

つまり、「あんたの権利が、政府や役人にとって気にくわないものである場合には、政府や役人はそれを尊重しなくてもいい、制限したり、取り締まってもいい」ということになります。

公益及び公の秩序が個人の権利に優先する」んです。

なお、自民党の自民党の憲法改正草案の12条の後半には、「あんたらの権利や自由は常に公益及び公の秩序に反しちゃあならないのだ」としっかり書かれています。常に、とね・・・。

 

ちなみに、次の文章は、ヒトラーをリーダーとするナチス党の党綱領(25箇条

綱領)の第10項の文章です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/25%E3%82%AB%E6%9D%A1%E7%B6%B1%E9%A0%98 

 

「全国民の第一の義務は、精神的または肉体的に創造することであらねばならない。各人の活動は公共の利益に反してはならず、全て全体の枠において利益をもたらさねばならない」

 

公共の利益=公益です。「公益及び公の秩序が個人の権利に優先する」憲法は、まさにナチス的、全体主義的な憲法です。

 

憲法12条の後半の「公共の福祉」について深く知りたい人はここをクリック

 

 

 

 

Q6「憲法で使われている言葉の超ビミョーな違い(たとえば「個人」と「人など」)が大きな内容の違いを生み出すコトダマシたちのワザ」、について③

 

この手のワザの具体例について、更にご紹介しましょう。

 

自民党の憲法改正草案の9条の2項は、フツー語で書けば、次のようになります。

 

国防軍のコントロールは誰がするって? そりゃ、法律で決めた、国会の承認その他がコントロールするのさ。

わかる、法律で決めさえすれば、その他(誰でも)コントロールオッケーてわけよ。

 

どうです、その他と書いてあれば、たとえば、法律で決めさえすれば、軍最高司令官、総理大臣、などなど、国会以外の誰にでも、軍をコントロールするいっさいの独裁的な権限を与えることができるわけです。

 

政府=国会の多数派なので、たとえば、その多数派が強行採決でもいいので「総理大臣に、軍のコントロールを任せます」という法律を作れば、その瞬間から、総理大臣が軍を独裁的に動かすことができるようになります。

 

ここでもまた、憲法で使われている言葉の超ビミョーな違いが大きな内容の違いを生み出す、言霊師(コトダマシ)ならぬ言欺師(コトダマシ)たちの巧みなるワザ ・・・。  


Q6「憲法で使われている言葉の超ビミョーな違い(たとえば「個人」と「人など」)が大きな内容の違いを生み出すコトダマシたちのワザ」、について④

 

あともう一つ、この手のワザの具体例についてご紹介しましょう。

 

18条(奴隷的禁止)について、今の憲法と、自民党の改憲草案を比べてみましょう。

 

今の憲法の18

 

「うちらは、絶対に奴隷みたいなひどい扱いはされない」と日本の国は、この憲法で、うちらに約束してるよ。

 

自民党改憲案の18

 

「うちらは、社会的または経済的関係においては、奴隷的なひどい扱いをうけない」と日本の国は、この憲法で、うちらに約束してるよ。(政治的関係においては、奴隷的なひどい扱いを受けないとは約束しないけどね。)

 

今の憲法の18条は「絶対に奴隷的なひどい扱いはしません」と約束してます。が自民党の改憲案18条は「政治的関係においては、奴隷的なひどい扱いを受けないとは約束しないけどね」という態度です。これは政治的な奴隷的拘束の典型例である徴兵制を可能にする18だと言っていいでしょう。また、人を政治的に拘束する場合には公正な裁判を受ける権利を奪い、拷問したり好きなだけ拘束することを可能にする18だとも言っていいでしょう。  戻る

 

 

Q7今の日本国憲法を歴史の針を逆戻りさせる方向で変える動きが成功すると日本がどんな国になるの?

 

政府=国会の多数派が、強行採決でもいいので、多数決で好きな内容の法律を作って、その法律で好きなことがなんでもできる国になるでしょう。

(「公益をうちらの権利や利益より優先させる」というのは「そういうことができる」ということです。)

 

うちらのいろいろな権利を制限したいと思えば、そういう内容の法律を作って・・・。

うちらが彼らに不都合なことを言うのを制限したり、禁じたければ、そういう内容の法律を作って・・・。

邪魔な人々を取り締まりたいと思えば、そういう法律を作って・・・。

戦争をしたいとか、戦争に参加したいとか思えば、そういう法律を作って・・・。

誰か一人または少数のの人間の命令にみんなが従わなければならないようにしたいと思えば、そういう内容の法律を作って・・・。

 

それって、あのヒトラーのナチスドイツや戦前の軍国主義で全体主義の日本のような国になるということです。 


Q8今の憲法と自民党の憲法改正案とでは、要するに何が違うの?

 

今の日本国憲法の特徴は、次のようなものです。

 

政府は戦争できない。

政府は、政府を批判するものを取り締まることはできない。

主役(主権)は、政府でなく、国民。

自由というものは人が生まれながら持っているもので、政府はそれを奪うことはできない。それを奪う法律を、政府は作れない。

 

近現代的な憲法の代表格。

 

これに対して、自民党の憲法改正案の特徴は次のようなものです。

 

政府を作っている政党が多数決で法律を作ることによって、いや、法律を作らなくても、自由に戦争し、国民を戦争に巻き込んでその命や財産を強制的に差し出させることができる。(自民党改憲草案92項 国会の承認その他

 

政府を批判する者は、政府を作っている政党が多数決で法律を作って、政府が取り締まることができる。(自民党改憲草案13条の後半 公益と公の秩序に反しない限り

 

主役(主権)は国民でなく、政府にある。

「自由というものは人が生まれながら持っているものではなく、政府がOKした範囲で政府によって与えられるもの。政府がOKしなければいつでも奪われてしまうものだ」ということを定めている。(天賦人権論の否定政治的関係においては、奴隷的なひどい扱いを受けないとは約束しないけどね」という18

 



要するに、近現代の憲法とは言えない、ナチス的な憲法。(公益及び公の秩序が個人の権利に優先する


別の言い方をすれば、自民党の改憲は、もう一つの富士山=今の日本国憲法を、魔の山=ナチス的な憲法に変えてしまう、そういう改憲にほかならないんです。


Q9「憲法は(GHQの)押しつけ(だから、変えよう)」って言う意見は、本当は何を言っているの?

 

要するに、平和的で民主的な憲法を、戦争のできる、政府(=ごく少数の支配層の人達)の思いのままに国を動かせる憲法に変えたいって、本当は言ってるんです。(そもそも憲法は(GHQの)押しつけ」ということ自体が、事実に反するのですが ・・・。) 


Q10安全の確保という点で、9条(戦争放棄)は現実的でないという意見は当たってるの?

 

C・ダグラス・スミスの「日本は、本当に平和憲法を捨てるのですか?」は次のように書いています。

 

「この百年間で、まさに二億人に及ぶ人々が、国家によって殺されたのです。

この二億人うちのほとんどは、兵士ではなく、市民でした。

そして、国家によって殺されたこの二億人のうちのほとんどは、外国人ではなく、自分たちの国の市民だったのです。」

 

それでも「軍事力を持つ国家に住む方が安全」というのは現実的な考えでしょうか?

 

統計によれば、過去最大の戦争、第二次世界大戦では、全世界で6000~8500万人もの人がなくなりましたが、

日本でも262万人~312万人もの人々が亡くなりました。

そのうちの60パーセントは餓死者でした。これは戦争を指導した人達の愚かさ、無責任さが原因でした。)

 

その第二次世界大戦を挟んで、多くの人間が犠牲になった戦争の時代に日本の政権の中枢にいて、戦後、9条を発案した第44代総理大臣幣原喜重郎は、「あれ(9条)は一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ」と言っています。そして、彼は次のように言っています。

 

「強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。

僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。

その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論によって裏付けされたものでなければならない。

そうした与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。

何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。

もしある国が日本を侵略しようとするそのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それによって脅威を受ける第三国は黙っていない。

その第三国との特定の保護条約生むにかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。

要するにこれからは世界的視野に立った外交の力によってわが国の安全を守るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ。」

 

このような幣原喜重郎の考えは、今の世界にも通用する、現実的なものと思います。

「バランスを維持しようとする世界の国々が、バランスを変更しようとするある国家のふるまい(侵略)を許さない」という国際政治の法則は今の世界でも有功です。この法則を踏まえて賢く外交を行えば、軍隊なしに、国と国との争いを解決できるのではないでしょうか。

 

憲法を変えて、(多数派の政府が多数決で法律を作ることによっていつでも好き勝手に使える)軍隊を持つことは、

 

そういう政府を利用して戦争で利益を得るごく少数のひとたちにとっては現実的でも、

 

大多数の一般国民のいのちと安全と幸せにとっては非現実的であると同時に危険なことではないでしょうか? 

 

ちなみに、たとえば自民党の憲法改正草案に書かれている「国防軍」は、名前はどうあれ、多数派の政府が多数決で法律を作ることによっていつでもどこででも好き勝手に戦争できる軍隊にほかなりません。

 

もしも今、幣原喜重郎が生きていたら、きっとこういうでしょう。 

「今の日本がなすべきことは軍隊を持つことではなく、外交のスキルとセンスをレベルアップすることではないか。」 

と。  

 

Q11自衛のため」という名目の軍隊(国防軍)を持つことは正解なの?

 

多くの戦争は「自衛」とか「自国民保護」とかいう名目のもとに、相手国を攻めることによって始まるという歴史的事実があります。 

ナチス的に、全体主義的に、軍国主義的に憲法を作り変えたい人達は、自分たちの好きなように戦争もできる憲法を作り変えようとしています。

そういったことを考え合わせた時、この問いの答えは自然に出ると思います。 

 

Q12憲法に書いてあることは素晴しいけど、日本の国はそういう約束を必ずしも守っていないんじゃないの? そういう約束を国がしてることも知らなかったし ・・・ どうしてなの?

 

憲法で国が国民に約束したことが十分守られていれば、

 

たとえば、年金や福祉が切り捨てられ、医療費が前よりもかさんだりするようなこともなかったでしょうし、貧しい人は自己責任だからしかたないだろうとかいう理由で放置されたりすることもなかったでしょうし、安定した収入や社会保障のある正規雇用者の数もこれほどまでに減らなかったでしょう。

 

また、

 

テレビや新聞が、政府に不都合なことを報道するのを自粛ないかと感じている人もいると思いますが、そういうようなこともなかったでしょう。

 

なぜ、憲法の約束が守られてきていないのかと言えば、それは約束を守る気がない人達がずっとこの国を動かし続けてきたからではないでしょうか?

 

そういう人たちは学校でもできるだけ、憲法で自分たちが国民にどういう約束をしているか、教えないようにしてきたのではないでしょうか? 

だから、うちらの中に、そういう約束を国がしていることをそもそも知らなかった人が多いのではないでしょうか?

 

それでも、多少なりとも、国が憲法で約束していることが守られているのは、うちら国民が、国に約束を守らせるように働きかけたり、行動したりしてきたからではないでしょうか?

 

憲法も、97条で次のように言っています。

 

97

 

この憲法が大事にしている基本的人権ってものは、世界中の人達がこれまで何百年もずーっとがんばって、闘って、そして勝ち取った結果だよ。

 

と。

 

まず知らないことには、もっと勝ち取ることも、守ることもできませんよね。

このサイトも、日本の、そして世界の一人でも多くの人に、知ってもらいたい、そういう思いから作ったものです。

現在、この平和的で民主的な憲法を、軍国的で非民主主義的なそれに変えようという動きがあり、近い将来、うちら国民がどちらかを選ばなけらばならなくなる日の来る可能性が高まってきています。

その日が来るとしたら、

 

まず、正しく知ったうえで、どちらかを選ぶか、それぞれがその日までに決めましょう。

 

このもう一つの富士山=日本国憲法をユネスコ世界記憶遺産に登録するキャンペーンを通じて、日本や世界の人たちがこの憲法を正しく知ることは大きな力になる可能性が大いにあります。

 

このサイトの立場は、もちろん、前者、もう一つの富士山=平和的で民主的な憲法を選び、魔の山=軍国的で非民主的で全体主義的でナチス的な憲法は選ばない、ということです。

 

日本国憲法の12 条の前半にはこんなことが書かれています。

 

この憲法が国民に保障している自由及び権利は、うちらが絶えず努力して保つようにしなきゃいけないよ。そうしないと、せっかくの自由も権利も権力者に奪われてしまうからね。

 

安倍総理は来年(2016年)夏の参院選後に憲法改正を発議するとすでに宣言しています。

 

あなたは、どう考えますか?

 

トップページインデックスに戻る

 




*富士山写真撮影・提供:樋口健二 禁、無断転載・無断使用