憲法第九条の発案者が幣原喜重郎元首相であるとする資料群を、日米独の市民ら百六十九人が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に共同申請した。憲法は連合国総司令部(GHQ)の「押しつけ」と主張する改憲論に一石を投じる狙い。申請者らは「九条の理念を再認識し、平和を願う人類の宝として世界で共有したい」と語っている。(安藤恭子)
共同申請は、市民運動「九条ユネスコ世界記憶遺産登録ネットワーク」(東京)が呼び掛けて五月に行い、六月初めまでに受理された。来年には登録の可否が決まる。共同申請者の一人で資料群の調査に当たった作家の荒井潤さん(六三)は「『押し付け憲法』を改憲理由とする安倍首相への疑問が、運動のきっかけ」と振り返る。
九条の発案者には諸説ある。マッカーサーが主導したとの説も根強いが、荒井さんらは、幣原の提案をマッカーサーが了承した経緯を示す資料は多いと訴える。
申請資料は、幣原氏の秘書だった故・平野三郎元衆院議員が一九六四年、内閣の憲法調査会に提出した「幣原先生から聴取した戦争放棄条項の生まれた事情について」(通称・平野文書)を中心に六点。「(憲法)に戦争放棄を入れたいと幣原が言った」とマッカーサーGHQ最高司令官が米上院委員会で述べた証言記録や、マッカーサー側近の回顧録など米国側の資料もそろえた。
平野文書は、五一年に晩年の幣原氏を訪ねた平野氏が、憲法制定前の四六年一月二十四日の幣原・マッカーサー会談について詳しく尋ねたもの。幣原氏はこの文書で、憲法に戦力不保持を盛り込むようにマッカーサーに提案したことを明かし、決断までの苦悩をにじませている。
幣原氏は「原子爆弾ができた以上、世界の事情は根本的に変わった。次の戦争は短時間のうちに交戦国の都市が灰燼に帰す」と、核戦争への危機感を吐露。軍拡に向かう世界を「集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景」と称して懸念する。
「ここまで考えを進めてきた時に、九条が思い浮かんだのである。そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら―。その歴史的使命を日本が果たすのだ」。文書の中で幣原氏は、世界が軍縮に向かう唯一の道として九条をひらめいたと語る。
「憲法は先生の独自のご判断でできたものか」と尋ねる平野氏には、「ここだけの話にしてもらわなければならない」と口止めしつつ、「当時の実情として押し付けられたという形でなかったら実際にできることではなかった」と話し、マッカーサーに命令を出してもらうように持ちかけた経緯を明かしている。
専門家の立場から共同申請人に加わった岐阜大の近藤真教授(憲法)は「平野文書は、日本が率先して戦力を放棄することで、軍拡に歯止めをかけようという理念が、九条発案の裏にあったことを示す貴重な文書」と評価する。
幣原・マッカーサー会談の事実にも着目する。「原爆を落とし落とされた二つの国の代表者が、制定に関わったことに意味がある。原爆の悲劇を知り、今後の核戦争の広がりを恐れた二人は、自らの理念を九条に託した。九条は、核なき世界の実現に向けた手段として、今後も世界に発信していくべきものだ」
荒井さんも言う。「九条は先の大戦で亡くなった多数の死者や、生き残った人々の平和への願いを象徴している。幣原氏の発案に至る思いを忘れて改憲論議をすることは、これらの人達をも切り捨てる『時空を超えた棄民政策』だ」